ベトナムのお札を見ればあの人がいかに偉大であるかがわかる



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どうも、前野です。

みなさんお金は好きですか?お金って生きていく上で大事ですよね。

しかし今回はお金の大切さを話す記事ではありません。ベトナムのお金についてです。

お金は国によって違います。ベトナムのお金も日本のお金とは違う点がいくつもあります。

その一つに硬貨がないという点があります。正確には硬貨は存在しますが、桁が小さすぎてほとんど使われていないということです。

そんな違いがあることは日本に住んでいるだけでは知りえません。でも日本では当たり前に存在するお札と硬貨でさえ、他の国に行けばないなんてにわかに信じがたいことです。

模様の時点ではなく、存在する媒体ですら違うのなら、もっと他にも違いがあるはず。。

そうなんです。あります。

今回はベトナムのお金に秘められたある秘密をご紹介しましょう。

全てのお札に同じ肖像画が

先程ベトナムのお金の現在使われているものは全てお札と書きました。

それがこちらです。

ん?何かに気がつきましたか?

そうなんです。

肖像画が全図同じ人!!

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日本のお札と違いますよね。

日本のお札は2000円という例外を除くと1,000, 5,000, 10,000円のお札には別々の人が載っています。

そして僕たちが生きている間にもその肖像は変わったこともありました。

歴史で勉強した偉人たちが載っているということを知っています。しかし、ベトナムのお札の肖像画はたった一人。これは一体なんでなんでしょう。

そしてこの人は誰?

この人の名前は

ホーチミン

さんです。

ベトナムで最も有名な人の名前です。

 

 

ホーチミンってどんな人?

この肖像画の人、ホーチミン。ホーチミンって言えば人の名前ですが、イメージとしてはそれよりも先に都市の名前が思い浮かびますよね。

ハノイに次ぐベトナムの都市ホーチミン。

そのホーチミンと同じ名前です。

ベトナムに関係ない日本に住んでいたら、ホーチミンは人って認識はあまりしないと思います。日本のお札の肖像は先程述べたように1枚のお札に一人で3人いますよね。

偉人が何人も描かれています。でも

肖像画に全部載るってどんだけすごい人なんだ?

と思いますよね?

ホーチミンがどんな人なのか。どんだけすごい人なのかをご紹介しましょう。

ホー・チ・ミン(ベトナム語: Hồ Chí Minh / 胡志明, 1890年5月19日 – 1969年9月2日)は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父である。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。”(引用:Wikipedia 

「ベトナム建国の父」と書いてあります。現在のベトナムの形を作った中心の人です。

父が儒学者であったこともあり、幼い頃から中国語を学び、父とフエに移ったあとフランス語も勉強したそうです。国際的な教育を受けていますね。

”その後、ラミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号という船の見習いコックとして採用されたホー・チ・ミンは、1911年6月5日、サイゴンを出帆してフランスへと向かった。”(引用:Wikipedia 

当時のベトナムは今よりも海外に出ることが厳しいと思いますが、フランスへ行っています。

”ホーは「世界を見てみたい」と思い、船員として働くことを希望した。以後、ホーは船員としてアルジェリア、チュニジアなどのフランスの植民地とアメリカ合衆国、ラテンアメリカ、ヨーロッパ諸国を回った。

1913年、アメリカ合衆国を離れたホーは、英語を本格的に学ぶためにイギリスに移住した。1917年12月にパリに戻ったが、この年に起こったロシア革命は、彼の思想に大きな影響を与えた。”(引用:Wikipedia 

さらにフランスだけでなく様々な国を巡る経験をしています。この経験はやはり彼のそれ以降の活動に大きく影響を与えたことでしょう。なんの偶然か、彼もまた旅をしていたようですね。旅から国を変える人が現れた一つの大きな例になることでしょう。

”パリに戻ったホー・チ・ミンは政治活動を本格化し始めていった。1919年初頭、ホーはフランス社会党に入党。”(引用:Wikipedia 

そしてここから彼の政治活動は始まります。

”この年、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議が開催されたが、ホーは安南愛国者協会を代表して会議に出席し、8項目からなる「安南人民の要求(ベトナム語版)」という請願書を提出した。これは、全ての政治犯の釈放、報道と言論の自由の保障、結社と集会の自由の保障など、植民地のベトナム人も本国のフランス人と同等の権利を保障することを要求するもので、植民地独立を要求するものではなかった[4]。”(引用:Wikipedia 

ベトナムではなく、パリにて政治活動を始めた彼はそこでベトナム人の自由を訴える請願書を提出します。古くからフランスの植民地だったベトナムを救うために動き出したのです。

”ホーにとっての主要な課題は共産社会の実現よりも、民族自決すなわちベトナムの独立であった”(引用:Wikipedia 

ベトナムを思って政治活動に及ぶ彼の目標はベトナムの独立でした。

その後1930年にベトナム共産党を創立。

1939年に第二次世界大戦が始まり、40年にはフランスがドイツに支配されてしまう。そこで世界のフランス植民地は親独派につくか、反独派につくかの選択に迫られる。ホーチミンはここで30年ぶりにベトナムに戻ってきて、ベトナム独立のための統一戦線組織「ベトナム独立同盟会」(通称ベトミン)を組織してその主席に就任。

戦争中もベトナム独立のために全力で取り組んでいた。

日本の敗北が決まった1945年8月、ベトナム政権奪取に向けて全国的な民衆蜂起を行いました。これによって、ホーチミンは首相兼外相となったのです。そして阮朝・ベトナム帝国が滅亡し、ホーチミンはハノイにてベトナム独立宣言をして、ベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相に就任しました。

こうやってホーチミンはベロナム建国の父となったのです。

 

長い長い文でしたが、ここまでがホーチミンの生き様です。

また別の記事にて図解による分かりやすいホーチミンの生き様をまとめたいと思いますので、しばしお待ちを。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

歴史の勉強というのは好き嫌いが分かれるところで、全く興味ないという人も多いかと思います。僕自身歴史は得意な方でしたが、歴史自体にはなんの興味もありませんでした。

しかも異国の歴史なんて全く興味がある分野にはなり得ませんでした。

しかし、ベトナムに住み、文化を知るのと同時に不思議に思ったことを調べてみると、面白いことがいっぱいわかります。何も知らないまま生きていた世界への扉が少し開けたような感覚を抱きます。

ホーチミンという人が中心となって人々を先導して現在のベトナムを作り上げた。その事実は大きく感じます。ベトナムに住んでいるからなおさらそれを身近に感じるのでしょう。

今まで1年間住んでいたベトナムで会ったベトナム人の中でホーチミンさんを尊敬していない人に会ったことはありません。

みんながホーチミンさんのことを話すし、町のいたるところにお札と同じ肖像が貼られています。それだけ尊敬されており、敬われている証拠でしょう。

お札のすべての肖像画がホーチミンさんであることも少しなっとくできた気がします。

ベトナム建国の父。それこそがベトナムのお金に隠された理由なのかもしれません。

【プロフィール】 〜SAMURAI TRAVELER〜  前野圭祐(まえのけいすけ)

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